− キルケー −






 「・・・こういう話です。あなたはどう思いますか?」

 「ふん。馬鹿じゃないの、そいつ。親にも殴られた事ないのに、なんて男の言う事じゃないわよ」

 ラキストは、キルケーとキルケーのためにしつらえた部屋で机を挟んで向かい合っている。机の上には数冊の本。
 
 「ですが、それだけでもないのですよ。単純そうに見える事でも、その裏にはまた別の恣意が働いている事もあるのです」

 キルケーは、興味なさそうに頬杖をつきながら、しかし確実にその目線はラキストとラキストが示す本のページを行き来している。


 キルケーにとって、ラキストは初めて出会う”大人”であった。元々、子供は大人に対し畏怖、や尊敬の気持ちを生まれた時から刷り込まれる。その上で、大人は子供に間違った事は間違った事と、正しい事は正しい事と教え込む。また、それは大人の義務でもある。
 そして、その役割を担うのは本来は親の役目。そして次いで家庭教師や、学校で学ぶ同年代の子供達から子供は様々な事を学習する。
 が、キルケーの場合はどうなのか。
 彼女にとって、親は強者ではない。家庭教師なども同様である。さらに、キルケーは友達を持たない。それは、そういった周囲の環境と、ゴーレムの存在がそうさせたのだ。
 ならば、彼女はどうやって善悪を学ぶのか。
 ラキストは思う。彼女をこうも育て上げたのは、周囲の大人達だ。そして、その過ちを正せる者はそこにはいない。だが、自分にはそれが出来る。
 教育者として数年を過ごした事もある。だがそれは、彼女に散々強いてきた行為以上に彼女の人生に無断で踏み入る事ではないか、とは思いもした。が、結局彼はキルケーとこうして向かい合っている。

 「・・・そう言えば、棚の本はほとんど読んでしまったようですね。・・・何か、面白いものはありましたか?」

 「あんなの、何が面白いってのよ。・・・・・でも、アレよね、あの人間と吸血鬼の恋物語なんて、うん。少し、くらいは面白かったかな」

 キルケーは、必ずそうやって遠回しに遠回しに口を開く。本当ならば、しゃべりたくて仕方ないのであろうが。

 「・・・なんてね、あの主人公が飛び入って来たシーンとかは、ちょっと、うん。良かったかなぁ、って」

 キルケーは、ラキストを畏れている。生まれて初めての、自分の力が通用しない人間だからだ。
 が、それは倒れる事のない大木にも似て、キルケーが寄りかかる事の出来るモノでもあった。

 
 「・・・そろそろ時間ですね。・・・では、お願いしましょうか」

 ラキストは、キルケーに”行為”を強いる時、いつも陰鬱な面もちを隠そうともしない。
 が、そんなラキストの意に反して、いつしかキルケーは行為にもそれほど大きな拒否反応を見せなくなっていた。

 「・・・わかったわよ。・・・ねぇ、ラキスト。終わったら、晩ご飯一緒に食べてあげようか。あなたも一人じゃ退屈でしょ。少しくらいなら、話し相手になってあげるわよ」

 「そうですね。では、お言葉に甘えるとしましょうか」

 ひょっとして、すでにキルケーにとってはあのおぞましい”行為”も、子供が医者を恐れる程度の事でしかないのか。それとも、単なる子供じみた強がりなのか。もしくは逃げられない事に端を発した覚悟の現れなのか。そこまでは、ラキストにもわからない。



 「どうしました?家に帰れるのです。嬉しくは無いのですか?」

 ラキストが行った全ての実験が終了し、ラキストがその旨を伝えた時、キルケーは露骨に憮然とした顔を見せた。

 「・・・勝手よね、人をこんなとこに連れてきて、無理矢理あんな化け物共にメチャメチャにさせて。そのくせ、事がすんだらはいさようならってさ」

 「そうですね。確かに勝手すぎるでしょう・・・故に、何か謝礼をしたいと思っています。が、貴方の家は金銭に困るような事はまずない。だから、何かそれ以外の物・・・。欲しい物はありますか?可能な物ならば、それを差し上げたいと思います」

 そう言われて、キルケーは考え込む。が、その胸中にはどういう考えが渦巻いているのか、ラキストにはわからない。

 「・・・・・・ゴーレム。ゴーレムを・・・・・・いや、うん。別に・・・」

 ややあって、キルケーはそう言うが、語尾を濁す。

 「ゴーレムですが、あれは魔導大戦時に作られた物で、自己再生力を持っています。放っておいても何年かすればまた動くようになるでしょう」

 「え?・・・・・・そう、そうなんだ」

 キルケーはどうすればいいのかを必死に考える。だが、妙案は浮かばない。
 ラキストは、キルケーの前にしゃがみこみ、懐から小さな布のようなものを取り出す。

 「・・・では、大した物ではないのですが、コレを」

 ラキストが取り出したのは、眼帯。白を基調に、上品な装飾が施されている。

 「キルケー。あなたには、過ちをただしてくれる教師と苦楽を共にできる友人が必要です。・・・ですが、貴方がその目を使う限り、それらはとても現れにくいのです。・・・私は、貴方がその眼を持って生まれた事には意味があると思っています。それがわかるのが何時になるにせよ、その時が来るまでに、その眼はおいそれと使うべきではないと思っています」

 ラキストは、そう言ってその眼帯をキルケーに手渡す。が、キルケーはなかなかそれを受け取ろうとしない。

 「今更、そんなの・・・。そうだ!そこまで言うんなら、ラキストが私の家庭教師になればいいんだ。そうでしょう?あなた、うちに来なさいよ」

 キルケーは自分の考えがすばらしい物だというように、ぱっと顔を輝かせる。が、ラキストは静かに首を横に振る。

 「私には、やらねばならない事があります。・・・・・・大丈夫。あなたなら、きっと上手くやれますよ。そう信じてください」

 ラキストは、そう言いながら眼帯をキルケーの左眼につける。再び憮然とした表情になるキルケー。

 「・・・学校に行ってください、キルケー。そこには、良い人、悪い人、親切な人、我が儘な人、色々いますが、きっと楽しい。きっと、あなたにとって良い結果になります」

 ラキストは、そう言ってキルケーに顔を向ける。

 「では、貴方の家までお送りしましょう。・・・・・・さようなら、キルケー」

 「え・・・・・・ラキスト?」

 

 キルケーが何だ、と思う間もなく、彼女は自分の屋敷の入り口に立っていた。

 その姿を見止めた父親が、驚愕に眼を見開く。

 「き、キルケー!?お前、今まで一体何処に・・・!?」

 キルケーは、一瞬こそ懐かしさを覚えたが、その父親を見るなり眉間に皺を寄せた。

 「ちょっと、魔法使いの家にね。・・・ねぇ、父様。私、学校に行く。手続きしてちょうだい?」
 
 「き、キルケー。お前、何を・・・・・・」

 キルケーは思う。どうせ退屈な生活だ。ラキストは学校を楽しいと言った。なら、それが嘘か本当か確かめてもよい。
 キルケーは、左手で眼帯に触れる。何か、魔法的な力で外せないようにでもなっているのかと思ったが簡単に外す事が出来る。が、彼女はそれをそのままにしておいた。

 「そうね、少し。少しくらいは、あんたの言った事、守ってみるわ」

 
 終



戻る