最終日

私はまだ日も登り切らぬような時間に目を覚ました。
隣ではタンが丸くなっている。
数時間しか寝ていないと言うのに、体が眠る事を拒否しているかのようだ。
私はなんとなく外の空気を吸いたくなり、廊下に出ると宿の主人と鉢合わせした。

「ああ、お客さん、丁度いいところに。お客さん達に会いたいって人が来てるんですよ。まだこんな時間だから、って言ったんですけど、どうしてもって」

「私達に?」

私はともかく剣だけを持って表に出ると、そこには一人の女戦士が立っていた。
左眼に眼帯を付けている。
確か、この人・・・。

「あなた・・・確か、レイラさん、とかって・・・」

昨夜。セニティ王女を救出して帰還したパーティの一人。
私は遠巻きにちらっと見ただけだけど、見間違えようはずがない。

「ああ・・・」

彼女は国にとって英雄である。今日はその功績を称えて大々的に恩賞が与えられるはずだ。
その彼女が、なぜここに?

「・・・ルビエラを救出したのは、お前達だな?まだ、仲間はここにいるのか?」

「・・・それを聞いて、どうするつもり?」

私は彼女の真意が掴みきれず、慎重に言葉を選ぶ。

「ひとつ、警告・・・いや、忠告にきた。お前達が迷宮で見た事、聞いた事は他言無用に願いたい」

「・・・何故、それをあなたが?」

確かに、私達は『真実』を知ってしまった。黒曜は消されるかも、なんて言っていたけど、そこまでは行かなくともその事に関して国側の人間が釘を刺しに来るかもしれないとは思っていた。
でも、なぜ彼女が?

「・・・まだ、正式には発表されていないが、私は今日の恩賞式で正式に叙勲を受けて騎士になる。だから・・・」

「・・・なるほど、ね。分かったわ。そう言う事があるかもしれないって、私達も話していたもの。ルビエラはともかく、少なくとも私達は今回の事を吹聴して回る気なんてないわ。それは、保証する」

「分かった。信じよう」

彼女・・・レイラはそれだけ言うと「邪魔をしたな」と言って朝靄の向こうへ消えていった。
英雄になったって言うのに、なんて寂しい目をしているんだろう、と私は思った。
理由はなんとなくわかる。私はこの冒険の中で多くの物をを得た。でも、彼女は得た物よりも失った物の方が多かったんだろう。
不思議なシンパシー。
なぜだか、私にはそう思えた。



「さて、と・・・」

そうやって皆が宿の前に集まったのはもう習慣に近いものだったかもしれない。
けれど、これから向かう先は龍神の迷宮では、ない。

「・・・タン、黒曜、キルケー・・・。今まで、本当にありがとうございました」

しばしの沈黙の後、リエッタがそう口を開く。

「リエッタ・・・あなたは、これからどうするの?」

ここまで来てしまっては、もうそれを尋ねざるを得ない。
今まで停滞していた風が一気に流れ出すかのように感じられる。

「私は今回の件で多くの事を学び、多くの物を得ました。けれど、まだまだ未熟。だから、もう少し世界を回ってみようかと思います」

「ん・・・そう・・・」

口を開くのは私とリエッタだけ。
けど、皆が後に続く私の言葉を待っているのは間違いがなかった。

「無事でね、リエッタ・・・もし、スティアートにくる事があったら、アンブレラって家を尋ねて来て。歓迎するから」

私は今まで秘めていた事実を吐き出す。
その事で、皆が私から離れて行ってしまうんじゃないかって思ったけど、それ以上にその事を皆に隠したまま別れるのは耐えられなかった。

「スティアートの・・・アンブレラ・・・!?フラベルクの・・・じゃあ、キルケー、あなた・・・」

リエッタの目が一瞬驚愕に見開かれる。でも、それもほんの一瞬。

「・・・そうか・・・でも、これで合点が行きました。あなたの言動や、立ち振る舞い・・・そういうものも、理解出来た気がします」

「軽蔑する・・・?私が、貴族だって事、隠してたの・・・」

私は恐る恐るそう口を開く。私はリエッタ・・・黒曜も、タンもそうだけど、皆が何を口にしようとその反応で本当はどう思っているか、分かってしまう自身があったから。
でも・・・。

「変わりませんよ。キルケーがどこの人であろうと、キルケーはキルケーです。・・・私の、大切な友人です」

「リエッタ・・・」

私はリエッタと軽く抱擁を交わす。
リエッタの方が、私より少しだけ背が高い。だから、私はほんの少しだけ背伸びして・・・。

「・・・っ!?」

ほんの一瞬。かすかにふれ合う程度に、私はリエッタの唇に自分の唇を重ねる。

「・・・次に会う時までに、もっともっと鍛えておくわ。だから、その時は」

「・・・ええ。私も、他の誰のためでもない。キルケー、あなたとまた会う時のために、修行を続けます。その時は・・・」

「でも、次は普通の試合にしましょう?命がけは、一度で十分」

「そうですね」

私とリエッタはそう言い合い、お互い笑い合った。黒曜とタンは何が何だかわからない、と言う顔で私達を見ている。

「・・・時に、リエッタ。すまんが、そのアンブレラというのは有名な家なのか?」

黒曜がようやく口を開くチャンスを見つけた、とばかりに、で申し訳なさそうにそう言う。
私は思わず苦笑するが、無理もないなと思う。

「魔法を学んだ事のある人間なら、名前ぐらいは知っています。西方大陸で、ゴーレム使いのアンブレラと言えば」

「西の大陸か・・・なるほどな・・・」

黒曜はやれやれ、とばかりに首を回しながら息を吐いた。

「どこぞのお嬢さんか何かだろう、とは思っていたさ。ま、リエッタの言うようにそれでお主自身が変わる訳ではないからな。むしろ、それぐらいでお主を見る目が変わるかもしれんと思われていたと言う方がショックだ」

「ごめんなさい、黒曜・・・。でも、やっぱり、ね」

私は皆が本心からそう言ってくれているとわかり、苦笑しながらも胸がいっぱいになる。
タンは何も言わず、ただ、透き通るような笑みをを浮かべている。

「・・・それでは、私はそろそろ出発しようと思います。デュラも、別れを惜しむ事はお許しになっても、それにいつまでに引きずられる事はお望みではないでしょうから」

「ん・・・元気、でね。リエッタ・・・」

「お主の事は忘れん。達者でな」

「ありがとう、リエッタ」

私が、黒曜が、タンが、言葉を重ねる。

「はい・・・皆さんも、お元気で。そして、また、いつか」

リエッタはうわずった声でそう言い、一度だけ頭を下げると、踵を返して歩き出した。
結局、リエッタの姿が見えなくなるまでリエッタは一度も振り返る事はなかった。
リエッタの声がうわずっていたのは、ともすれば吹き出しそうになる涙を抑えていたからだ、と言うのは言うまでもなかった。


これが、二つ目の、別れ。


「・・・さて、拙者も行くとするか」

「黒曜・・・」

タンがぽつりと黒曜の名を呼ぶ。

「・・・拙者は、忍だ。本当の事を言えば、昨夜にでもこっそり姿を消そうかと思っていたんだがな。しかし、どうにも、そう出来なんだ」

おもむろに覆面を外し、黒曜はそう苦笑しながら言う。

「・・・やっぱり、黒曜には向いてないんじゃないかって、思うわ。転職、考えてみたら?」

私は胸いっぱいに広がったものがこぼれそうな気がして、思わず茶化すようにそう言う。

「いやはや・・・本当に、考えたほうがいいかもしれんな」

そう言って、黒曜は覆面を戻す。今更、と言う気もするが、それが黒曜のライフスタイルとも言えるのだろう。

「タン・・・これから先、色々あるだろうとは思うが、お主なら上手くやれる。それを信じる事だ」

「黒曜・・・ありがとう。タン、がんばる、よ」

「・・・二人とも、達者でな。もし、縁があればまた会おう」

「きっとね。もし、転職したら・・・ううん。休暇にでもいいから、うちに遊びに来て」

「考えておこう。ではな」

黒曜はそう言って、私と、タンと握手を交わし、クルルミクの雑踏へと消えていった。


これが、三つ目の、別れ。


そして・・・。

「さて・・・私も、そろそろ行こうかな」

私は、努めて明るく、平静を装ってそう言う。
ずっと、ずっと考え抜いた結果だ。

「キルケー・・・」

私は最初に一言そう言った後、じっとタンの言葉を待つ。

「キルケー・・・タン、これから、フェリルを探しに、行こうと、思う・・・。だから、だから・・・」

タンが言葉を紡ぐまでもなく、タンが何を言いたいのか手に取るように分かった。
けれど。

「ごめんね、タン。私も、行くところがあるの。だから、タンとは、一緒に行けない」

私は膝をつき、タンの視線に自分の視線を合わせながら、一言一言吟味しながら口を開く。
タンが、どれほどの勇気を持ってその言葉を口にしたかも、痛いほどに理解しながら。

「キルケー・・・キルケー・・・タンは、タンは・・・キルケーと、一緒に、いたい、よぅ・・・」

その大きな目に涙をいっぱいに浮かべて。
でも、私は溢れそうになる涙を必死に押さえ、タンの体を抱きしめる。

「大丈夫・・・。黒曜も言ったけど、タンなら、きっと、上手くやれる。辛い事とか、悲しい事とか、たくさんあるだろうけど、タンなら、きっと、大丈夫。私が保証する」

タンの暖かい体を抱きながら、私はあいつの事を思い出す。
何で、あの時あいつは私を突き放したのか。それまで、あれほどに私を大切に扱っておきながら。
今なら、わかる気がする。相手の事を思うなら・・・相手の事を思うからこそ、一緒にいてやる事だけが全てじゃないんだって。
タンなら、なおのこと。
私も、フェリルも。ずっと一緒にいてやる事なんて出来ない。いずれは、タンも一人で歩かなければならない日が来る。
だから・・・。

「・・・フェリルを助けたら、うちに報告に来るのよ?それまでに、タンの好きなキャンディとか、他に美味しい物、たくさん用意しておくから・・・。必ず、ね」

「キルケー・・・」

タンの指先が私の背中に食い込むほどに、タンは私を強く抱きしめる。
私のタンを抱く手が震える。

「大丈夫・・・タンが、本当に困った事があったら、世界中どこにいたってすぐに駆けつける。ね?大丈夫。タンなら、大丈夫・・・」

「うっ・・・うっ・・・」

タンは私の胸で嗚咽を上げる。でも、私は泣かない。必死に、全身全霊の力を込めてあふれ出そうになる涙を押しとどめる。

「タン・・・これ」

私はそう言って、胸元に隠していた大粒の宝石を取り出し、タンに手渡す。
ブルー・ダイヤモンド。顔も知らない祖母から送られた、私のお気に入り。

「私、こういう性格でしょ?これ、お気に入りなんだけど、無くしたらっていつも不安だったの。だから、タンに預ける。・・・いいでしょ?」

「キルケー・・・」

「あげる訳じゃないんだから。ちゃんと、返しに来る事。いいわね?」

「う、ん・・・きっと、きっと、会いに、行くよ・・・キルケーに」

顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら、タンは無理矢理笑顔を作ろうと必死になっている。
私は思わず自分の感情が堰を切ってしまうのを、無理矢理押さえ込む。

「うん・・・だから、さよならは、言わない。だって、きっとまた会えるでしょう?」

私はそう言ってタンの頭を優しく撫でる。そして、ゆっくりと頬に触れる。

「ありがとう、タン。・・・じゃ、またね?」

私は立ち上がる。立ち上がって、一瞬空を眺める。
雲一つ無い晴天。私の心もこの空のように、とは行かないけれど。

最後に私はタンの頭に軽く手を載せ、それをきっかけに踵を返す。
背後からタンの視線を痛いほどに感じるけれど、振り返らない。
リエッタだって、黒曜だって振り返らなかった。だから、私だって。

どこに行こうか、なんて決めていない。とにかく、足の進む方へ。

「・・・キルケー!!きっと、きっと、会いに、行くからー!!」

背後からタンの声。
ダメだ。今まで押さえてこられた事自体、奇跡みたいなものだって言うのに。
私は思わず振り返り、あふれ出る涙を抑えようともせず、タンに向かって大きく手を振る。

「タンーっ!!しっかりね!!寂しくても、泣いちゃだめだからねー!!ちゃんと、フェリルを助けないと承知しないからーっ!!」

私はそこまで叫んで、もう一度踵を返し、走り出す。
最後の最後で、私は折れてしまった。

でも、いいんだ。これで。

リエッタ。
黒曜。
タン。

大事な、大事な・・・私の友達。
離れていたって、一度出来た絆はそう簡単に切れやしない。
その証拠に、私はまだ、リエッタを、黒曜を、タンを、感じられる。


空はどこまでも青く、突き抜けている。

私の前に道はない。

どこに行こうか?

足の向くまま、気の向くままに歩いてみよう。

どこに行っても、どこまで行っても、きっと終わりはないと思うから。





-キルケーの手記-    終







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