五十日目 私達はまだ日も高い日中、龍神の迷宮の入り口まで戻ってきた。 カビくさく、埃っぽく、さんざ罠やならず者、化け物の類にひどい目に合わせられた迷宮だと言うのに、もうここに訪れる事もないんだと思うとやはり名残惜しい。 それは私だけではないようで、入り口に近づくにつれ、自然と口数は減っていった。 「・・・ふぅ」 さほど疲れている訳ではない。が、色々な気持ちが入り交じったため息が漏れる。 頭の中にぐるぐると渦巻くものが多すぎて、大事な事をひとつ忘れていた。 それも、自分で思い出した訳ではない。 「・・・ウェルフ?」 入り口もいよいよ近づいたその時、今まで黙々とタンについてきていたウェルフが突然立ち止まり、大きく一声吼えた。 「あ・・・そうか」 ウェルフの本当の主・・・名も知らぬエルフは、まだ地下五階にいるのか。 「そっか・・・ウェルフも、帰らなきゃ、いけないんだね・・・」 私はウェルフの前にかがみ込んで首に手を回す。 ウェルフの暖かい舌が私の頬を舐めた。 「ありがとう、ウェルフ。あなたがいてくれなかったら、ルビエラも助けられたかわからない」 私に続いて、リエッタと黒曜もウェルフの前で膝をついた。 「今まで、ご苦労様でした。あなたの存在は私達にとって何より心強いものでした」 「お主の本当の主にもよろしく伝えてくれ」 そう言うリエッタと黒曜に、ウェルフは別れを惜しむように鼻声を出した。 「ありがとう・・・ウェルフ」 そして、最後にタンがウェルフの体を抱く。 私達よりもよほどウェルフに近しい存在であるだけに、タンとウェルフの間には私達とはもっと異なる絆があるように見えた。 あるいは兄弟、姉妹であるかのような。 それこそ、二人には私達のような言葉はいらないのかもしれない。 ウェルフは最後にもう一度だけ小さく吼え、踵を返し迷宮の奥へと消えていった。 よもやウェルフの事なら、迷う事もあるまい。 「行っちゃったね・・・」 私はぽつりとそう零す。 まず、一つ目の別れ。 私達がクルルミクについた時、まだ日は十分に高い頃だった。 街は明日に控えた竜騎士団の迷宮投入に備えてごった返している。 街につくなり、ルビエラは疲労も感じさせない声で礼を言い、そこで別れた。 黒曜はもう一度事件の真相に関して釘を刺したが、どこまで理解しているかは正直疑問だったりする。 「・・・でも、良かったの?好きにさせて」 「我々にどうこう言う権利はないだろう?それをするとすれば国の方から何かしらのアプローチがあろう」 そんなやりとりを交わした後、私達はともかくドワーフの酒蔵亭へ向かった。 やはりぺぺには一言挨拶をしておきたい。 「停戦合意が正式に調印され、竜騎士団が東の戦場から帰還してくるようだ。そうなれば、迷宮のならず者どもも一切駆逐してくれるだろうし、王女も助け出されるだろうな。やれやれ、長かったこの国の混迷にも、ようやく光が見えてきた。全てが終われば、お前達も、この店も、もうお役御免だなあ、少し寂しい気もするな。お前達もお疲れさん!何だかんだと、楽しい日々だったぜ」 私達がぺぺと交わした会話を要約すると、こんな感じだろうか。 寂しいのは私達も同じ。ぺぺには色々と世話になったものね。 行きがけの駄賃、と言う訳ではないけどロブスター・ワインもちゃんと手渡した。 ちょっと飲んでみたかったりしたけど、それを言うとまた何だかんだと色々言われそうだから口には出さなかったけどね。 その夜。私達は今までの冒険を惜しみつつ、ドワーフの酒蔵亭で語り明かした。 ぺぺの振る舞う料理も今まで以上に力が入っているように感じたのは私の気のせいではあるまい。 ・・・けど、話せば話すほどに別れが辛くなる。 誰一人「これからどうするのか」と言う事を話題にしようとしなかったのはそう言う事なんだと思う。 ただ、夜もすっかり更けた頃、そろそろ引き上げようかという段階になって、私はとうとう我慢できなくなって一言だけ言った。 「・・・じゃ、色々あるとは思うけど、ともかく、今日はいつもの宿で。ね?」 私は出来るだけ愛想良く、空気が重くならないように配慮したつもりだったけど、その後の皆の返事が何とも歯切れの悪いものだったのは仕方がないかもしれない。 「はぁ・・・お風呂、まだやってくれるかしらね。・・・もしやってたら、リエッタ。一緒に入らない?」 「は・・・!?な、何を言ってるんですか!ふ、ふしだらな!」 私がリエッタに流し目をくれてやりながらそう言うと、リエッタは予想通りの反応を返してきた。 「やっぱり、同い年だと気になるじゃない?色々とさ、発育とか」 「ふ、不謹慎です!」 リエッタがそう言うと、皆がどっと笑った。 ちょっと無理矢理だったけど、空気が重くなるよりはよほどいい。 その夜。もうとっくに深夜と言っていい時間。 私はいつものようにタンと同じ部屋、同じベッドで横になる。 酒場で色々と騒いだせいか、タンはベッドに入るなりすぐに寝息を立ててしまった。 私はタンの寝顔を見ながら一抹の寂しさに捕らわれる。 が、それもほんの少しの間。 私はタンを起こさないようにベッドから抜け出し、着慣れた戦装束に着替えて宿を出る。 今、どうしてもやらなければならない事があった。 街のはずれ。草木も眠る丑三つ時だって言うのに、街の中心は喧噪に包まれている。 竜騎士団の投入もあるけど、隣国と停戦条約が結ばれ、ようやくこの国も安定するとなれば民衆が浮き立つのも当然なんだろう。 でもその喧噪もこの町はずれまでは届かず、私は虫の声を聞きながらじっと待ち続ける。 「・・・キルケー」 足音、気配で気が付いてはいたけど、その人物が自分から声をかけてくるまで私は身動き一つしなかった。 聞き慣れたその声で私はその人物に向き直る。 神妙な面もちでリエッタが立っていた。 「・・・ごめんなさい。こんな夜更けに呼び出して」 「・・・いえ」 「用件は・・・言わなくても?」 「・・・今日、キルケーはお酒を一口も口にしていませんし、私にも勧めませんでした。・・・それで、戦支度を整えて、町はずれに来てくださいなんて手紙が置いてあれば・・・想像はつきます」 「ん・・・来てくれたんだから、これ以上は聞かなくてもいいわよね」 「・・・ええ」 私が、リエッタに対して感じる気持ちというのはタンや黒曜に感じるそれとは少し違う。 同い年にもかかわらず、温室で育てられた私と幼い頃から心身共に鍛えてきたリエッタ。 我が儘で自己中心的な私と、献身的、禁欲的なリエッタ。 まるで対極にあるように見えても、お互いのそう言う自分とは違う部分に惹かれていたんだと思う。 でも、だからこそ。 負けたくない。 自分の全部をぶつけたいと言う気持ちは、タンに対しては感じない気持ちだ。 お互いが、より、高みに行くために競い合う。 それは、ただの『友達』とも違う・・・リエッタが最初に言った言葉を借りるなら、それが『ライバル』なんだろう。 「武器は、いつもの物を?」 「ええ」 模擬刀や試合形式ではない。 殺し合いと同義だとさえ言える勝負。 「・・・大丈夫。この国の治療師は腕がいいし、いざとなったらタンを起こしちゃおう。でも、それでも、もし・・・」 「・・・わかっています。もし、どちらかが・・・死ぬ、ような事があっても・・・」 「ええ。恨みっこなし」 私は知ってしまった。命を賭ける事の重みと、そこから得られるものの大きさを。 だから、一度だけ。友人である、リエッタと。 本当の真剣勝負を。 「合図は?」 そう尋ねるリエッタに、私は一枚のコインを取り出してみせる。 そして、それを、ゆっくりと、 高く、高く、放り投げ・・・・・・。 |